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初代勘三郎は、1598(慶長3)年に生まれたとされている。 大蔵流の狂言の芸を身につけたのち、
歌舞伎 に転じる。 道外的な役どころの"猿若"の芸を得意とし、京から江戸に下って、1624(寛永元)年に中橋 南地(現在の日本橋)に猿若(中村)座の櫓を上げた。これをもって江戸歌舞伎の発祥となった。
のちに中村座は堺町に移転する。
初代勘三郎は小唄の名人で、大音美声で知られ、幕府の御用船・安 宅丸の江戸入港の時、木遣音頭を務めて褒賞を受けた。1657(明暦3)年息子の新発知(勘二郎)とともに
京に上り、内裏にて、初代の「猿若」、息子の「新発知太鼓」が叡覧に浴した。
二代目勘三郎は、初代の二男として1647(正保4)年に生まれた。京の内裏で「新発知太鼓」を務めて明石という名を賜ったのは、わずか10歳の時であった。1658(万治元)年に明石勘三郎と改め、1662(寛文2)年に
中村勘三郎と名乗ったとされている。
十二代目勘三郎の時代1842(天保13年)、中村座をはじめととする江戸三座は猿若町に移転する。
十五代目は、十三代目の子の五代目中村明石が、浅草の西鳥越町に猿若座を移して座元を勤めた。
十七代目中村勘三郎は、三代目歌六の三男として、1909(明治42)年に生まれた。兄に初代吉右衛門三代目時蔵がいる。
1950(昭和25)年に勘三郎の名跡を復活させ、それを継いだ。初代吉右衛門の弟であり、六代目菊五郎の女婿で もあったことから、"菊吉"の芸の影響を強くうけつつ、独自の舞台を形成していった。長男に現・十八代目勘三郎、孫に勘太郎・七之助がいる。
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